平手政秀 墓碑 政秀寺墓地
撮影地:愛知県名古屋市千種区 「平和公園」
LUMIX GX7・LUMIX G 20mm F1.7 ASPH.
平和公園の「政秀寺墓地」には織田信長のもり役であった平手政秀の墓があります。
平手政秀は尾張を支配した織田信秀の重臣で、天文3年(1534)に信秀の嫡男・信長が生まれるともり役を務めます。天文16年(1547)の信長の初陣の際には後見人を務め、翌年には美濃の斎藤道三との和睦を成立させ、信長と濃姫の婚約をまとめています。
しかし、天文22年(1553)に政秀は突如自刃しています。理由ははっきりとは分かっていませんが織田信秀が亡くなると、奇行の多かった信長を退けようという動きがあり、信長の奇行を諌めようとしたとも言われています。
政秀の死後、信長は政秀寺を建立し菩提を弔っています。政秀寺は名古屋市中区にありますが、墓地のみ千草区の平和公園へ移転しています。
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テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真
- 2019/11/20(水) 07:07:00|
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徳川宗春 墓碑 建中寺墓地
撮影地:愛知県名古屋市千種区 「平和公園」
LUMIX GX7・LUMIX G 20mm F1.7 ASPH.
「徳川宗春」は、尾張藩第七代藩主で、今でいう「自由人」、昔風に言えば「かぶき者」でした。当時の徳川将軍「吉宗」とは正反対の政治を行いました。質素倹約を重視して幕藩体制の立て直しを図ろうとした吉宗に対し、宗春は祭りや芸能を奨励し、消費と経済の活性化を図ったのです。
当時、幕府だけが公認できた遊郭や芝居小屋を名古屋の地で公認し、名古屋に芸能ブームを巻き起こしました。吉宗の緊縮令で出番を失った江戸・上方の役者や芸人が名古屋に集まり、まさに「芸どころ名古屋」が花開いたのです。
彼自身の行動もユニークでした。例えば、白い牛に乗り奇抜な頭巾をかぶって神社・寺院におもむいたり、全身真っ赤な衣装に長さ二間(約3.6m)ものキセルをくゆらせ、建中寺(徳川家の菩提寺)に参詣するなど、民衆の度肝を抜くものでした。
宗春は、少々のことには目をつむり、民衆ができるだけのびのびと生活できるような政治を目指したのです。言ってみれば「人にやさしい」政治理念だったのです。何か現代にも通じるように思いませんか?
名古屋観光情報HPより
テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真
- 2019/11/19(火) 07:07:00|
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路上観察 64
LUMIX GX7・Ai AF Micro Nikkor 60mm F2.8D
いつの世も一人先頭を走るやつがいるものだ・・・・・。
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- 2019/11/18(月) 07:07:00|
- 路上観察
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